1: なまえないよぉ~ 2023/07/29(土) 19:34:15.38
エッセイ「『中田敦彦の妻』になってわかった、自分らしい生き方」で、夫との紆余曲折の日々を綴った福田萌さん。多忙な夫に代わり、家事・育児を一手に引き受けるなか、「中田敦彦の妻」扱いされることにモヤモヤしたことも。そんな福田さんがたどり着いた「自分らしい生き方」について聞きました。
――福田さんは結婚の翌年の2013年、28歳で第一子を出産。すべてのレギュラー番組から卒業しました。築き上げたキャリアから降りる葛藤や焦りはありましたか。
福田萌さん(以下、福田): それはもちろんありました。頭では理解しているんです。テレビの収録、夜中までできますか?って言われたらできないですし、じゃあシッターさんを頼んで……といっても、そこまでして自己実現したいのか、って思いますし。「じゃあ今は子育てに徹するしかないな」と結論は出すものの、子どもをあやしながらテレビを見ていると、どんどん新しいタレントさんが出てくるんですよね。私のことなんて忘れられていくんじゃないかって焦りました。だから、ブログで妊娠・出産・育児についてたくさん発信して、なんとか忘れられないように努力したり、いろんな資格の勉強をしたりして、イベントに呼んでもらえるようにしていました。
――当時、中田さんは多忙を極め、ほぼ家にいない状態。どうやって夫婦関係を保っていましたか。
福田: 今の私の役割は家庭を守ることだってわかってはいたんですけど、やっぱり自分のやりたいことに時間を取れないことにどんどん不満ポイントが貯まっていって……。そういう時は、夫に話を聞いてもらっていました。夫はおしゃべり好きなので、どんなに忙しくっても、帰宅後1時間くらい夫婦で話す時間を取ってくれるんです。当時、夫も仕事で悩んでいた時期で、私も大変だけど夫も大変なんだなと思えたのは大きかったと思います。
ワンオペ育児のお手本は母
――ワンオペ育児はどう乗り越えたのでしょう。
福田: 私の子育てのお手本と言えば、母なんです。私の母は幼稚園の先生で、働きながら3人の子どもを育てていました。その姿を見ていたので、ワンオペもまあ不可能ではないのかなって軽く考えていたんですが、いざやってみると本当に大変で。改めて母を尊敬しました。子ども時代は母が迎えにくる6時まで、近所の専業主婦の方のおうちに預かってもらっていたんです。民間学童のような感じで、そこで宿題もさせてもらって。そういう算段も母が全部自分でつけていたと思うと、本当に頑張ってくれたんだなあと思います。
私自身、夫の「いい夫やめました宣言」から、家事代行を頼むようになりました。育児のお手本の母だって、人の手を借りてなんとかこなしていた。料理の作り置きとキッチンの掃除、アイロンがけなどをたまに家事代行の人に頼むようにしたら、気持ちの余裕もできたし、なにより子どもに優しく向き合えるようになりました。その後、シンガポールへ移住したら、こちらはもっとお手伝いさん文化が発達していて、お手伝いさんを頼むことが女性の雇用促進にもつながったりするので、積極的に活用しています。
――本のタイトルもそうですが、“福田萌”ではなく、“中田敦彦の妻”という扱いを受けることが多いことをどう感じていらっしゃいますか。
福田: 〇〇の妻、〇〇のママという呼ばれ方に、傷ついていた時期は確かにありました。「私は私だし、私の築き上げたキャリアは私のものだし、なんで付属品みたいに言われなきゃいけないんだ」って。でも今は、「中田敦彦の妻」という肩書きも、わたしの大事な要素だと思うようになりました。たとえば、過去は女優さんとして出ていた方が、今は夫婦セットでタレントさんとして出ている場合、見ている方は、そういうキャラとして見ているだけなんですよね。自分の中には、「私は福田萌だ」っていう芯がちゃんとあるから、あとはただ、ほかの人がつけた名前なんだって思えるようになりました。それにこの先、夫のほうが「福田萌の夫」って呼ばれて、逆転することだってあるかもしれない。誰が主役で誰が脇役かっていうのは、入れ替わり続けるものだと思うんです。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/b68189baaaf4f4777ce47a091d59737e62b106e9
――福田さんは結婚の翌年の2013年、28歳で第一子を出産。すべてのレギュラー番組から卒業しました。築き上げたキャリアから降りる葛藤や焦りはありましたか。
福田萌さん(以下、福田): それはもちろんありました。頭では理解しているんです。テレビの収録、夜中までできますか?って言われたらできないですし、じゃあシッターさんを頼んで……といっても、そこまでして自己実現したいのか、って思いますし。「じゃあ今は子育てに徹するしかないな」と結論は出すものの、子どもをあやしながらテレビを見ていると、どんどん新しいタレントさんが出てくるんですよね。私のことなんて忘れられていくんじゃないかって焦りました。だから、ブログで妊娠・出産・育児についてたくさん発信して、なんとか忘れられないように努力したり、いろんな資格の勉強をしたりして、イベントに呼んでもらえるようにしていました。
――当時、中田さんは多忙を極め、ほぼ家にいない状態。どうやって夫婦関係を保っていましたか。
福田: 今の私の役割は家庭を守ることだってわかってはいたんですけど、やっぱり自分のやりたいことに時間を取れないことにどんどん不満ポイントが貯まっていって……。そういう時は、夫に話を聞いてもらっていました。夫はおしゃべり好きなので、どんなに忙しくっても、帰宅後1時間くらい夫婦で話す時間を取ってくれるんです。当時、夫も仕事で悩んでいた時期で、私も大変だけど夫も大変なんだなと思えたのは大きかったと思います。
ワンオペ育児のお手本は母
――ワンオペ育児はどう乗り越えたのでしょう。
福田: 私の子育てのお手本と言えば、母なんです。私の母は幼稚園の先生で、働きながら3人の子どもを育てていました。その姿を見ていたので、ワンオペもまあ不可能ではないのかなって軽く考えていたんですが、いざやってみると本当に大変で。改めて母を尊敬しました。子ども時代は母が迎えにくる6時まで、近所の専業主婦の方のおうちに預かってもらっていたんです。民間学童のような感じで、そこで宿題もさせてもらって。そういう算段も母が全部自分でつけていたと思うと、本当に頑張ってくれたんだなあと思います。
私自身、夫の「いい夫やめました宣言」から、家事代行を頼むようになりました。育児のお手本の母だって、人の手を借りてなんとかこなしていた。料理の作り置きとキッチンの掃除、アイロンがけなどをたまに家事代行の人に頼むようにしたら、気持ちの余裕もできたし、なにより子どもに優しく向き合えるようになりました。その後、シンガポールへ移住したら、こちらはもっとお手伝いさん文化が発達していて、お手伝いさんを頼むことが女性の雇用促進にもつながったりするので、積極的に活用しています。
――本のタイトルもそうですが、“福田萌”ではなく、“中田敦彦の妻”という扱いを受けることが多いことをどう感じていらっしゃいますか。
福田: 〇〇の妻、〇〇のママという呼ばれ方に、傷ついていた時期は確かにありました。「私は私だし、私の築き上げたキャリアは私のものだし、なんで付属品みたいに言われなきゃいけないんだ」って。でも今は、「中田敦彦の妻」という肩書きも、わたしの大事な要素だと思うようになりました。たとえば、過去は女優さんとして出ていた方が、今は夫婦セットでタレントさんとして出ている場合、見ている方は、そういうキャラとして見ているだけなんですよね。自分の中には、「私は福田萌だ」っていう芯がちゃんとあるから、あとはただ、ほかの人がつけた名前なんだって思えるようになりました。それにこの先、夫のほうが「福田萌の夫」って呼ばれて、逆転することだってあるかもしれない。誰が主役で誰が脇役かっていうのは、入れ替わり続けるものだと思うんです。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/b68189baaaf4f4777ce47a091d59737e62b106e9
【福田萌「『中田敦彦の妻』と呼ばれることも私の強み」】の続きを読む