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YMO

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1: なまえないよぉ~ 2023/06/23(金) 19:38:47.26
 世界的な人気を博した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」。細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんという卓越した才能が生み出した音楽は、さまざまな影響を与え続けている。高橋、坂本両氏亡き今、YMOの唯一無二の魅力について思いをはせる。

<イエロー・マジック・オーケストラ> 1978年、デビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発表。「テクノポリス」「ライディーン」などを含む2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」(79年)が100万枚を超える大ヒットとなる。この年の欧米ツアーに、渡辺香津美さん、矢野顕子さんらが出演した。83年に「散開(解散)」宣言するも、93年にアルバム「テクノドン」を発表。東京ドームで「再生」コンサートを開く。2000年代以降、高田漣さんら若手ミュージシャンともライブで共演した。

◆リスクに耐えた演奏力 ギタリスト・渡辺香津美さん

 僕がYMOのワールドツアーに参加することになったのは、細野さんの作戦だったと思います。彼には、海外、特に米国の聴衆は、YMOの音楽を理解できないのではという懸念があったのでしょう。「ジャズのアドリブをふんだんに聴かせてくれ」と言われました。そこをきっかけに自分たちの音楽を受け入れてもらおうと考えていたのだと思います。

 でも、生のギターの音ってすごく実体感があるというか、生々しい。そのままYMOにシフトすると、水と油みたいになってしまいます。YMOのサウンドに合わせるべくクールでタイトな音が出るギターを特注しました。演奏面でも、譜面通りに弾くとジャズマンは「かっこ悪い」と思いがちなのですが、四分音符をそのまま弾いて音楽的に成立させるために、音色やタイミングをじっくり吟味するのは、自分にとって新鮮で面白い体験でした。

 (共演した)松武秀樹さん(シンセサイザープログラマー)とは「電圧で音程が変わるシンセサイザーを海外に持っていって、コンセント一つ抜けたらおしまいという中でよくやった。リスキーなんてもんじゃなかったなあ」という話をよくします。国内ツアーでは、実際データが全部飛んでしまって、シーケンサーが機能しないことがありました。回復するまで「デイ・トリッパー」か何かを演奏した記憶があります。みんな弾けるのだから、何かあれば生で演奏すればいいという信頼感がありました。

 五十歳を過ぎて分かったのが(ツアーを企画した)村井邦彦さん(アルファレコード創設者)のブランディングのすごさです。ニューヨークやロサンゼルスの超一流のホテルを借りて、会見を開き、ライブ会場にリムジンで降り立つ。「日本からすごいスターが来た」と思わせる計算された演出なのですが、当時の自分には少し照れくさかったです。現地には自分のジャズ仲間もいましたからね。

 坂本さんは、リムジンに乗った時点でもうなりきっていましたけれど、僕自身も今振り返ると相当ハイになっていたと思います。向こうへ乗り込んでいってだれも聴いたことがない音楽をやるというのは、とてつもなく不安だったし、なりきることによって精神の均衡を保っていた面がありました。YMOを成立させるために、自分自身を変えていった部分が、三人にもきっとあったのだと思います。 (聞き手・中山敬三)

<わたなべ・かずみ> 1953年、東京都生まれ。71年に「インフィニット」を発表。「17歳の天才ギタリスト」と評される。坂本龍一さんのファーストアルバム「千のナイフ」(78年)にも参加した。

◆知的なかっこ良さ 衝撃 音楽評論家・スージー鈴木さん

(※中略)

◆変幻自在 天才の三角形 音楽家・高田漣さん

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

<考える広場>YMOとは何だったか?
2023年6月20日 07時20分 東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/257748
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/5/e/9/b/5e9b9f16c7bd66ff97d4d2f00660988b_1.jpg

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1: なまえないよぉ~ 2023/04/04(火) 21:22:55.60
 先月28日、世界的な音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。71歳だった。坂本氏は映画「ラストエンペラー」の音楽で日本人初のアカデミー賞を受賞。今年1月に70歳で亡くなった高橋幸宏氏、細野晴臣(75)とともに音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーとしても活躍した。数多の名曲を世に出したが、坂本氏の代表曲といえば、「テクノポリス」「東風」「千のナイフ」「戦場のメリークリスマス」などが知られる。

 しかし、坂本氏の訃報を伝える各局のニュース番組で流れたBGMをめぐって、SNSではファンの落胆の声が広がっている。多くの番組で流れたのが、高橋氏が作曲した名曲「ライディーン」だったためだ。

《坂本龍一さんのニュースで代表曲に「ライディーン」を挙げるニュース番組やワイドショーが多過ぎてほんとうにがっかり。「ライディーン」は高橋幸宏さんの作曲なんだよ。ほんの2か月前にお前ら散々報道しただろうに》

《坂本さんの訃報を伝えるテレビで『ライディーン』が流れるのって、スタッフの中に坂本龍一に思い入れのある人はいなかったのか?》

《BGMがライディーンなのが、今の日本のテレビなんだな。雑にも程があんだろ》

《昨日の「モーニングショー」では、坂本龍一のYMO時代の紹介に「ライディーン」使ってたんだよね。そーゆーとこがダメだよな。玉川徹は涙ぐんでたから知ってたかも知れない》

《坂本龍一の訃報でYMO『ライディーン』を流すNHKとその他テレビ局。ご本人達の名誉のために言わせてもらうと『ライディーン』は高橋幸宏の曲です。坂本龍一の代表曲は『テクノポリス』です》

《当時の若者にとって「ライディーン」は高橋幸宏で「テクノポリス」は坂本龍一なんて、マニアックな知識ではなく常識だった。そのくらいYMOはカルチャーヒーローだった。その当時の若者が、今はTV局の管理職なのだから、無知による失敗ではなく、知った上での嫌がらせでしょう》

 などといった具合。もっとも、YMOの代表曲ではあるため、《坂本龍一死去のニュースで「ライディーン」を使ってることを非難する人が多いけど、まぁ、ヒット曲的に言えばアレだし、メンバーなんだから間違いではないのかな、とも思う》と賛成の声も僅かながらあったが……。

 死を悼むファン心理としては坂本氏の代表曲を流してほしかったと思ったようだ。

4/4(火) 17:50配信 日刊ゲンダイDIGITAL

https://news.yahoo.co.jp/articles/19758b162e85aa5fe3fed12812ec6b15113f3abb

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1: なまえないよぉ~ 2023/01/15(日) 02:07:58.43
 1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったことが14日、分かった。70歳。東京都出身。死因や日時は明らかになっていない。2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。高橋さんはYMOの音楽面だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界に衝撃を与えた。 

 関係者によると、高橋さんは静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化した。亡くなったのは今週とみられ、仕事仲間や親しかった人たちへの報告が始まっている。

 20年初夏から断続的な頭痛に悩まされ、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明。摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了を報告した同10月のツイッターで「新幸宏になって戻ると決意しました」と宣言。軽井沢の別荘で静養する一方、通院治療を続けた。

 しかし、21年6月に定期検診を受け、「まんまと嫌な予感が当たり、また別の治療始めます」と投稿。再発ではないとしながらも、詳しい治療内容などは明かさなかった。

 病魔と闘う原動力になっていたのが、プロデビュー50周年記念ライブへの出演。70歳となった自身の始まりの場と位置付け、何年も前から構想していたものだ。復活の舞台とするべく前を向き続け、懸命に治療とリハビリに取り組んでいた。公演自体は開催されたが、本人は出演できなかった。

 78年に坂本龍一(70)、細野晴臣(75)と「YMO」を結成。シンセサイザーを大胆に使った演奏で80年代にテクノブームを巻き起こした。80年発売の代表曲「ライディーン」は高橋さんの作曲。日本のポップスシーンに与えた影響は計り知れず、正確なリズムのタイトなドラミングでYMOを支えたのが高橋さんだった。

 その評価は日本にとどまらず、結成翌年から2年連続で世界ツアーを敢行。83年に“散開”するまでわずか5年の活動ながら、全世界でレコードの売り上げは500万枚以上に達した。高橋さんはファッション面でも斬新なグループイメージを構築。もみ上げをそり落としたテクノカットや赤い人民服などで世界に衝撃を与えた。

 YMOはその後、“再生”と称して再結成を繰り返した。19年12月に開かれた細野の音楽活動50周年記念公演では、事前収録された坂本の映像に合わせる形で高橋さんらが演奏、「YMO復活」と大きな話題を呼んだ。その坂本は現在、最も重いステージ4のがんを公表して闘病中だ。 ソロ活動やプロデューサーとしても実績を上げるなど、第一線に立ち続けた高橋さん。ミュージックシーンにとどまらず、サブカルチャーなどにも大きな足跡を残し、国内外に与えた影響は計り知れない。

 ≪72年「サディスティック・ミカ・バンド」加入しプロデビュー≫

 高橋 幸宏(たかはし・ゆきひろ)1952年(昭27)6月6日生まれ、東京都出身。72年に「サディスティック・ミカ・バンド」に加入しプロデビュー。78年に「YMO」を結成。02年に細野と「スケッチ・ショウ」、14年には小山田圭吾らと「高橋幸宏&METAFIVE」を組んだ。主なソロ曲に「前兆」や「1%の関係」など。兄は音楽プロデューサーの高橋信之氏。

https://news.yahoo.co.jp/articles/05091066608a45c66fe19bfa314bb99969bc5e3f

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1: なまえないよぉ~ 2020/12/19(土) 06:00:52.49 _USER9
 細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんという、3人のトップミュージシャンによって結成された“YMO”こと「イエロー・マジック・オーケストラ」。1978年に結成されて以降、「テクノ」と呼ばれる電子楽器を使った斬新で未来的な楽曲を続々と発表し多くのファンから絶大な支持を得たほか、日本はもちろん世界各国で数々のミュージシャンにも影響を与えました。

 そこで今回は、YMOの楽曲の中から、代表的な3曲をピックアップして解説付きで紹介します。

●テクノポリス

 坂本龍一さんが作曲を担当し、1979年に発売された、YMOの代表曲の一つ「テクノポリス」。リズムの中に差し込まれる「TOKIO」のフレーズと、どこかから発信される信号のようにも聞こえる「T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・S」のセリフが印象に残ります。

 テクノポリスとは先端技術によって形成された都市という意味。古いものが新しいものに急激に塗り替えられていく当時の東京(TOKIO)を思わせる、未来的ながらもどこか哀愁を誘うメロディーが特徴的です。

●ライディーン

 ライディーンは1980年に発表された楽曲で、作曲を担当したのは高橋幸宏さん。テクノポリスと並ぶYMOの代表曲の一つです。しかし、雰囲気はテクノポリスとはまったく異なるアップテンポな楽曲。否応なしに盛り上がるそのメロディーはリリース当時、多くの人を魅了しました。

 1980年代に出現した、路上で踊る「竹の子族」にこよなく愛されたほか、小学校の運動会でも使われるほど日本中に浸透。YMOをまったく知らない人にも、最初に聞くYMOの曲としておすすめできる1曲です。

●君に、胸キュン。

 1983年に発表された「君に、胸キュン」は、それまでのYMOの無機質で近未来的な楽曲とは一線を画す、テクノ歌謡の要素を詰め込んだ曲に仕上がっています。作詞は松本隆さん、作曲はYMOの3名が共同で担当しました。メンバーの3人が、リズムを取ってアイドルのように踊るMVは、もはや伝説といえるでしょう。

 これまでにさまざまなアーティストによってカバーされてきた経緯を持ち、2020年には、ポカリスエットのCMソングとしてカバーされました。時代を超えて愛され続けている1曲です。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

あなたが好きなYMOの名曲はどれ? 
12/18(金) 20:15 ねとらぼ 
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e246efe9404cc472a5b73310295db2d6ffa4eb6 
【画像:ランキング15位~1位を見る】 
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/78112/vote_result/ 

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1: なまえないよぉ~ 2020/05/25(月) 23:15:19.54
YMOのアルバム『TECHNODON』が再発されたことを受け、YMOファンの石毛輝(the telephones / Yap!!!)、小池美波(欅坂46)、TOWA TEI、manaka(Little Glee Monster)、Rei(シンガー・ソングライター/ギタリスト)がコメントを寄せた。

◎小池美波(欅坂46)
YMOさん、『TECHNODON』リリースおめでとうございます。
『TECHNODON』というアルバムは、83年に散解されたYMOさんが、また改めて93年に再生された時のアルバムであると言うことを最近知りました。
このアルバムを初めて聴いた私は、21歳という年齢で感性も未熟でありますが、改めてYMOさんの音楽はいつの時代に聴いても新しさを感じさせる音楽なんだ、と感じました。
『TECHNODON』はポップな曲からドライでクールな曲までと、とても幅が広く、まるでジェットコースターに乗っているような感情になったり、今までに聞いた事の無い様な音もあったりして一つ一つの音を逃せまいと、宝探しをしているような、そんな感覚になりました。
YMOさんの音楽を聴き終わった後の独特な一つのドキュメンタリーを観たような感覚がとても好きです。
改めてYMOさんは何度聴いても飽きないので、私の世代の皆さんにも是非、聴いていただきたいと思います。

◎manaka(Little Glee Monster)
一曲目の再生ボタンを押せば、離陸。
『TECHNODON』は、遠い国へ向かう飛行機の窓から見える、時間ごとに変化する空の色を思い出す。
遊び心とストイックさ、ゆるやかさと、緊迫感。真逆なはずなのに同じ塩梅で共存するYMOのサウンドはやっぱり特別で、憧れです。

◎石毛輝(the telephones / Yap!!!)
素晴らしい。
今でも新しい発見があります。
まりんさんのリマスタリングも素晴らしく、何度も聴いていると音楽に対してのモチベーションが最大限まで高まります。
いちリスナーとしてもミュージシャンとしても最高の気持ちになります。

◎TOWA TEI
砂原リマスター盤をSTAY HOMEで聴きながら、YMOの3人がNYに集まった93年の2月以降のNYを想い出してます。

この頃の僕はNYに住んでいて、当時はイチ本場クラブDJとしてイキッた感じで、特にNYハウス通として、「テクノポップオリジネーターのYMOさんがイマドキのテクノを何故に?」とか正直思ったりもしてました。
録音現場に顔を出してみれば、外は寒いし、スタッフは多いし、皆ピリピリしてるし、何故か3人が集まると矢鱈お金の匂いのする怖い現場だなあと思っていました。
ウチらクラブやハウスの人達、ミニマルでコンパクトですから。
という訳で怪物YMOの中の人、ドン3人それぞれとのマンツー想い出を。
続きはソースをご覧下さい

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/88357/2 


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