1: なまえないよぉ~ 2021/03/07(日) 16:31:01.78 _USER9
2011年3月11日に発生した未曾有の災害・東日本大震災から10年。マイナビニュースでは、この震災に様々な形で向き合ってきた人々や番組のキーパーソンにインタビューし、この10年、そしてこれからを考えていく。
日本テレビ系バラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(毎週日曜19:00~)で、TOKIOのメンバーたちが体を張って農作業などに挑む看板コーナー「DASH村」は、福島第一原発事故によって撤退を余儀なくされたが、「出張DASH村」や「新男米」はもちろん、「新宿DASH」「DASH島」など、様々な企画でそのDNAは今も生き続けている。



島田総一郎統轄プロデューサーに、この10年の取り組みやTOKIOに感じる福島への愛情、そして4月以降新体制となるTOKIOとともに構想する今後の展開について、話を聞いた――。


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地震の被害をほとんど受けなかったDASH村の母屋=2015年撮影(提供写真)




■月10回はTOKIOの誰かが来ていた

――「DASH村」は2000年にスタートした企画ですが、島田さんが『ザ!鉄腕!DASH!!』のプロデューサーに就任された2008年には、TOKIOさんと福島の皆さんとの関係は、もうかなり強固なものになっていましたよね。
そうですね。僕が来たときは、「DASH村」がこの番組の代名詞みたいな感じで、『鉄腕DASH』という名前よりも有名だったかもしれないです。TOKIOさんが街でロケをやっていても「あ、DASH村だ!」と言われることがあるくらいだったので(笑)
当時は、長瀬(智也)さんと松岡(昌宏)さんがドラマで忙しくて、国分(太一)さんは『すぽると!』(フジテレビ)のキャスターをやってオリンピックの取材にも行ってた時期で、リーダー(城島茂)と(山口)達也さんがわりとメインになって、どんどん農業にのめり込んでいたので、僕が来たときにはもうプロ集団みたいになってました(笑)
――福島のDASH村には、どれくらいの頻度で行っていたのでしょうか?
スタッフたちが周辺に暮らしていたので、DASH村は常に誰かがいるにぎやかな場所でした。撮影も毎日のように行っていたので、下手したら月10回くらいはTOKIOの誰かしらが来ていました。達也さんに至っては、たまに休日もプライベートで来てましたよ(笑)。きっと、畑で育ててる野菜や建築中の建物とかが心配だったんでしょうね。

TOKIOやスタッフに農業を教えてくれる近所の農家さんたちにとっても、DASH村が集会場のような感じになっていて、みんなぷらっとやってくるんですよ。本当に地域のコミュニティができていたんです。たぶん近所の皆さんも「芸能人がいる」という感覚はないので、「写真撮って」とか「サインください」とか一切なく、フラットな温度で接してもらえるので、TOKIOにとっては居心地が良かったのかもしれないです。


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震災前のDASH村全景(提供写真)



■防護服で数か月無人状態のDASH村へ…
     ===== 後略 =====

2021/03/07 06:00
著者:中島優

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