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西城秀樹

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1: なまえないよぉ~ 2018/05/24(木) 23:08:35.71 ID:CAP_USER9
俳優の坂上忍(50)が番組MCを務めるフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」(木曜後9・00)が24日放送され、坂上が16日に急性心不全のため亡くなった歌手・西城秀樹さん(享年63)の妻・美紀さん(45)に独占インタビュー。救急搬送されてから亡くなるまでの最後の22日間について家族の秘話が明かされた。

西城さんは4月25日、自宅で家族と団らん中に意識を失い、救急搬送され入院。今月16日に容体が急変し、家族が見守る中、同日午後11時53分に横浜市内の病院で息を引き取った。

坂上は西城さんの死から6日後に自宅を訪れ、棺の中の西城さんとも面会。美紀さんは最後の22日間について「毎日、子どもたちも学校で色々聞かれても公に答えることはできなかったので辛かったと思いますけど、頑張って過ごしていました」と涙ぐんだ。

西城さんと元会社員の美紀さんは1999年に知人を交えた食事会で知り合い、18歳の年の差を乗り越え2001年5月に結婚。02年に長女・莉子さん(15)、03年に長男・慎之介くん(14)、04年に次男・悠天(ゆうま)くん(13)が誕生し、3人の子宝に恵まれた。その一方で、西城さんは2人目が生まれる前の03年6月に脳梗塞を発症。11年12月には再発し、結婚生活17年のうち15年間は病との闘いだった。

そんな中でも子煩悩な西城さんは学芸会など子どもの学校行事に積極的に参加。不自由な体を支えるため校門から体育館まで美紀さんと手をつないで歩いた。「子どもたちはからかわれたりしたこともあったようです。木本(西城さんの本名)のお父さんとお母さん、なんで手つないでるの?変なの??って」。

倒れた4月25日は、家族で食事した後で急に具合が悪くなり、椅子から崩れ落ちたという西城さん。美紀さんは泣きながら心臓マッサージをし、救急隊到着後も脈が戻らないまま「とりあえず搬送します」と告げられた。「蘇生するまで40分間心臓が止まってたんです」。医師からは「早ければ4日。もっても1週間だろう」と告知されたが、西城さんは22日間頑張った。

「できるだけパパの病院にいるようにする」と子どもたちは毎日病院に通い、手足がむくむ西城さんのために手浴や足浴をしたり、伸びてきた鼻毛をカットした時には「本人が嫌だったのか血圧が下がって、やばいやばいとやめてみたり」と美紀さん。悲しい命のカウントダウンだったが、「本当に幸せな時間でした」と最後に過ごした家族の濃密な時間に感謝の言葉が出た。

「優しいパパでした」と長女の莉子さん。「2014年の終わりぐらいから後遺症が悪化したのか、いつもの倒れた時と違ったのでキツいことも言った。後から病気と分かり、謝ろうと思ったけど謝れなかった」と悔いを語ったのは長男・慎之介くん。末っ子の次男・悠天くんは「体が不自由でも1人の人。お父さんはお父さん。1人のお父さんとしてしか見ていなかった」とパパの闘病生活を振り返った。

別れの時は突然やって来た。5月16日。病院からいったん自宅に戻り、美紀さんが「そろそろ寝るよ?」と子どもたちに声をかけた頃、病院から危篤を知らせる電話があった。家族で病院に駆けつけ、「それから20分ぐらいで血圧が下がって来て…。でも、パパは苦しそうじゃなくて寝てるみたいだった」。永遠の”ヤングマン”西城さんは家族の愛情に包まれながらこの世を去った。

西城秀樹さん妻・美紀さんが語る最後の22日間「本当に幸せな時間でした」 
2018年5月24日 22:24 スポニチ Sponichi Annex 芸能 
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/05/24/kiji/20180524s00041000394000c.html 

西城秀樹さん 
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1: なまえないよぉ~ 2018/05/17(木) 12:32:28.58 ID:CAP_USER9
 「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん(さいじょう・ひでき、本名=木本龍雄、きもと・たつお)さんが死去した。63歳だった。2003年と11年に脳梗塞を発症した西城さんは、後遺症やリハビリと闘いながらステージに立ち続けた。郷ひろみ(62)、野口五郎(62)らと「新・御三家」として70年代に一世風靡(ふうび)した。

 永遠の“ヤングマン”が天国へと旅立った。

 48歳、56歳の時に脳梗塞を2度発症。右半身のまひや言語障害などの後遺症が残ったが、壮絶なリハビリで回復。4月にコンサート出演するなど、最後までステージにこだわった。

 甘いマスクに長髪をなびかせ、エネルギッシュに熱唱するスタイルで女性ファンをとりこにした。1974年には「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「薔薇の鎖」では敬愛する英歌手ロッド・スチュワートばりにスタンドマイクを振り回すアクションで人気を集めた。

 79年の「YOUNGMAN」は約140万枚の大ヒットを記録した。自身も考案に携わった「YMCA」の4文字を両手で表現する振り付けも大流行。80年のセンバツ高校野球大会の入場行進曲、近年はCMソングに起用され、世代を超えて愛された。

 音楽を愛し続けた63年間だった。ジャズ好きの父親の影響を受け、小学3年生で地元のジャズスクールに通いドラムを始めた。中学1年生の時は3歳上の兄らとバンドを結成し、ビートルズなどの楽曲を披露。楽器を購入するために新聞配達のアルバイトもこなし、岩国の米軍キャンプでも演奏した。 

 広島・山陽高時代にジャズ喫茶で歌っていた時にスカウトされ、「ワイルドな17歳」をキャッチフレーズにデビュー。郷、野口と“新御三家”としてスターへの階段を駆け上った。私生活では46歳まで独身を貫いたが、2001年に妻・美紀さんと結婚。2男1女と子宝に恵まれた。

 幸せまっただ中の03年、突如病魔に襲われた。ディナーショーで訪れた韓国・済州島で脳梗塞を発症。11年に再発し、右足を引きずるなど後遺症が残ったが、家族に支えられながらリハビリに励んだ。1日3~4箱吸っていたタバコも断った。60歳を迎えた15年4月にライブを開催し、「ヒデキ、還暦!」とさらなる活躍を誓っていた。

 西城さんは09年にスポーツ報知のインタビューで、死ぬ間際まで役者人生を全うした緒形拳さん(08年死去)を理想に挙げた。「緒形さんのように自分の体が滅びていくまで仕事ができるか。僕は弱い人間だから自信がないけど。これからさらに鎧(よろい)がもう一つできて強くなれるかな」。その言葉通り、最後まで歌手人生を全うした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-00010000-spht-ent
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