芸能トピ++

ゴシップ、アイドル、グラビア等の芸能に関する5chまとめサイト、芸能トピ++

松田聖子

    このエントリーをはてなブックマークに追加

pose_ganbarou_woman
1: なまえないよぉ~ 2022/02/01(火) 19:41:08.46 _USER9
 昨年12月、最愛の娘である神田沙也加さんを失った松田聖子。その後は予定していたディナーショーが白紙となり、紅白歌合戦への出場も辞退。12月21日の葬儀後は、公の場に姿を見せていなかった。

 あれから約1カ月半。愛娘を失った母の心痛は計り知れないが、2月1日発売の『女性自身』でその近況が伝えられた。

 記事によると「ふさぎがちになり、自宅からほぼ出ずに生活していた」という聖子。だが1月下旬、都内の閑静な住宅街にあるサロンに出かける姿が目撃されたのだった。

 カリスマ美容師が顧客と一対一で向き合う完全予約制のプライベートサロンで、約2時間を過ごしたとのこと。お店を訪れる際、聖子の表情は以前よりも落ち着いたようにも見えたと記事では伝えている。

 沙也加さんの四十九日も近づいてきたなか、少しずつ前に進もうとしている聖子。その姿に、SNSでは応援の声が寄せられた。

《少しずつ少しずつ…》

《少しでも外に出られるようになり、ちょっぴり安心しました》

《ゆっくりして無理しないで 又元気な聖子ちゃんを見られる日迄 ファンの方は待っていると思います》

《大好きな聖子さん。応援しています》

 そんなファンの存在は、これまでも聖子に力を与え続けてきたという。聖子を知る芸能ジャーナリストはこう語る。

「聖子さんはプロ意識が強いことで知られていますが、40年以上の芸能人生には数々の苦難も待ち受けていました。その活動を支えてきたのが、他でもない彼女のファンたちでした。

 彼女もそのことに感謝していて、折に触れて思いを伝えています。2019年の全国ツアーでは『昭和の時代にデビューさせていただき、平成の時代も歌い続け、令和という新しい時代にデビュー40周年を迎えられることを、とても幸せに思っています』と熱いメッセージを送っていました。

 年末のディナーショーなどが白紙になってしまったことはたしかに残念ではありましたが、それでもファンは静かに見守っています。その思いが伝わったのでしょうか。一部では、聖子さんが少しずつ仕事関係者との打ち合わせを始めたとも報じられていました」

 聖子の明るい笑顔を、ファンは楽しみに待っている。

2/1(火) 19:32
SmartFLASH

松田聖子、外出できるほどに…少しずつ前を向き始めた姿に応援の声「ファンは待っている」
Copyright (C) 2022 Kobunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220201-00010010-flash-000-1-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/fae61223d0ed2f06a0421d4202dbf64128419cce

【松田聖子さん、外出できるほどに…少しずつ前を向き始めた姿に応援の声】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
kokoro_pokkari_ana_woman

1: なまえないよぉ~ 2022/01/20(木) 19:48:19.14 _USER9
「いまでも歌を聴けば、そこにいてくれる感じで寂しくなります」「あなたのことは永遠に忘れません」──神田沙也加さん(享年35)のインスタグラムにはファンからのコメントが絶えず投稿され続けている。

 沙也加さんの突然の死から1か月。『マイ・フェア・レディ』の公演のため、北海道札幌市内のホテルに宿泊していた彼女が変わり果てた姿で見つかったのは、12月18日のことだった。

「この日、沙也加さんは昼公演に出演する予定でしたが、入り時間までに会場に現れず、マネジャーが警察に通報。ホテル内を捜し回り、14階の非常用屋外スペースに倒れているのが見つかり、搬送先で死亡が確認されました」(地元紙記者)

 母である松田聖子(59才)が耳を疑うようなその知らせを聞いたのは、年末恒例のディナーショーを終えた後。翌朝札幌入りした聖子は、冷たくなった愛娘と対面したのだった。以来、聖子は憔悴しきっており、出演予定だった『NHK紅白歌合戦』を辞退。年末年始も家にこもりきりの日々が続いていた。

「花が大好きだった沙也加ちゃんのことを思い、自宅にある祭壇の供花を定期的に替え、一日中そこに座り込んで彼女に話しかけているそうです。しばらくは仕事関係者と話すことすら難しい状態でしたが、沙也加ちゃんが亡くなってから1か月が経ち、『このままではいけない』と、少しずつ打ち合わせなどを始めているそうです」(聖子の知人)

 3月には還暦を迎える聖子。本来ならば記念イベントが華々しく行われる予定だった。

「パーティーを兼ねたコンサートが予定されていましたが、いまはそれを予定通り開催するかどうかを話し合っている段階だそうです」(聖子の仕事関係者)

 沙也加さんが転落したホテルの部屋には、2通の遺書が残されていた。1通は事務所関係者宛て、もう1通は交際していた俳優・前山剛久(30才)宛てだった。

 昨年10月から沙也加さんと前山は交際を開始。しかしほどなくして、前山の元恋人のA子さんの影がチラつくようになり、何度も話し合いが繰り返されたという。

 本人たちの間に実際なにがあったかは知る由もない。しかし沙也加さんの死の矛先を前山やA子さんに向けることに異を唱える人も少なくないだろう。聖子もその1人だったようだ。

「聖子さんは沙也加が亡くなってはじめて前山さんとの関係を知ったそうです。数々の報道を目にして、動揺、怒りがなかったといえば嘘になるでしょう。

 ただ、聖子さんもこの世界で生きてきた人。前山さんを責めるのも違う、誰かのせいにするのも違う、もし誰かのせいというのがあるなら相談を受けられなかった自分のせいだと。だからこそ“沙也加の恋人のことはもう終わらせて”いまはそういう悲痛な胸の内を吐露しているようです。人のせいにしないというのは聖子さんらしいですが、見ていられない様子です」(前出・聖子の知人)

 愛を渇望しながらも悲恋に涙した沙也加さん。結婚と離婚を繰り返し、恋に生きてきた母はいま、愛娘になんと声をかけているのだろうか。

https://www.news-postseven.com/archives/20220120_1721056.html?DETAIL

【憔悴する松田聖子の悲痛な胸の内「沙也加の恋人のことはもう終わらせて」誰かのせいではなく自分のせい  悲痛な胸の内明かす】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
hyoujou_text_woman_shikushiku

1: なまえないよぉ~ 2022/01/09(日) 16:43:08.45 _USER9
 夫の成功や子供の教育に力を注ぐことがよしとされ、「自己実現」などと言えば周囲から不思議がられたアラ還世代の女性にとって、松田聖子(59才)は希望の星であった。並々ならぬ努力と行動力で、結婚もキャリアも、欲しいものはすべて手に入れてきたとされる聖子を襲った人生最大の悲劇。愛娘について、7年以上も無言を貫いてきた聖子の胸中と本当の母娘関係──。

 女優・神田沙也加さん(享年35)の突然の死からちょうど2週間経った、昨年の大晦日。母・松田聖子は、初霜がおりたかのように白くふくらんだ菊のつぼみがあふれる祭壇から、片時も離れることはなかったという。学校の入学式、卒業式、結婚式、沙也加さんの人生の節目には、いつも不在だった聖子が肩を震わせながら抱くのは、ピンク色の布で覆われた骨壺だった。

 大晦日の夜、出場予定だった『第72回NHK紅白歌合戦』に聖子の姿はなかった。

「プロ意識の塊のような女性なので最終的に紅白には出ると思っていましたが、今回ばかりは無理だったようです。これまで2回も母娘共演を果たした思い出の番組だけに、つらさが倍増したのかもしれません」(NHK関係者)

 新年を迎えた現在も、聖子は憔悴しきっているという。

「歌うなんてもってのほかで、愛犬の散歩どころかひとりで外出もできない状態です。話している最中にふいに涙を流したり、立っていることができず、その場にうずくまってしまうこともあるそうです」(聖子の知人)

 立つこともままならない聖子が、ただひとつ夫のAさんにお願いしたことがある。それは、「供花を買ってきてほしい」ということだった。

「聖子さんのリクエストでAさんが真っ白な洋菊の花束を買ってきて、家の中の祭壇に供えています。聖子さんはその祭壇から離れようとせず、花が大好きだった沙也加ちゃんにずっと話しかけています」(前出・聖子の知人)

 これまで何度も母娘の間の決裂が報じられた聖子と沙也加さん。断絶と雪解けを折り重ねた2人だが、聖子は沙也加さんのお骨を抱きながらこう繰り返しているという。「ぜんぶ私のせい」──。

 聖子と沙也加さん母娘の本当の関係は、どのようなものだったのか。ある関係者によると、2人は7年以上も疎遠が続いていたという。

「かつて『友達母娘』と報じられたこともありましたが、サヤ(沙也加さんのこと)とお母さんはここ数年は口をきかないばかりか、メールなどで連絡を取ることもなかったそうです」(沙也加さんの知人)

 母と娘の関係は、時にこんがらがって複雑になる。母が自分と似ているところを娘に見つけ、自分が踏んだ同じ轍を踏ませぬよう、娘の失敗を事前に阻止してしまい、ぶつかり合う。沙也加さんの場合、母親が「松田聖子」であることが母娘の関係をさらにこじらせた。

 1997年に聖子が神田正輝(71才)と離婚すると、都内の私立小学校に通っていた沙也加さんは東京を離れ中学から千葉県内の私立中学校に進学。その後、聖子は6才年下の歯科医と再婚し、1999年に渡米した。沙也加さんはロスの日本人学校に入学したが、2000年、聖子の2度目の離婚を前に日本に戻り、千葉県内の中学校に復学した。多感な時期に、恋多き母のおかげで環境の変化を余儀なくされた沙也加さん。しかも聖子の娘ということで目をつけられ、私立中学の寮では壮絶ないじめにあった。

 2002年、15才で沙也加さんはSAYAKAとして歌手デビューした。だが周囲から「親の七光り」との視線を浴びて、偉大なる母の束縛から逃れることはできなかった。

「聖子さんは、サヤが小さい頃から、『私がいないとあの子は何もできないのよ』という思いが強く、サヤのライブで裏方としてビラ配りをすることも。私生活でも彼女の恋愛にたびたび口をはさみ、衝突することがありました」(前出・沙也加さんの知人)




 そんななかで迎えた突然の別れ。母娘の長い物語の予想もしない結末に、聖子は自責の念に駆られているという。

「聖子さんと沙也加さんは決して憎しみあっていたのではなく、お互いの存在が大きかったので距離が必要だっただけです。聖子さんとしては、娘にくっつきすぎるとまた離れるので、適度な距離を取っていればまたいつか戻ってくるとの思いでした。それがこんな結末になってしまい、『私のせいだ』『私がもっとしっかりしていれば』と自分を責める毎日です」(前出・聖子の知人)

https://www.news-postseven.com/archives/20220105_1718462.html?DETAIL
【松田聖子さん、神田沙也加さんの死に憔悴 自責の念に駆られ「私のせい」と繰り返す 外出もできず、祭壇から離れずずっと話しかける】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
kokoro_pokkari_ana_woman

1: なまえないよぉ~ 2021/12/26(日) 08:45:37.67 _USER9
歌手、松田聖子(59)が「第72回NHK紅白歌合戦」(後7・30)の出場を辞退したことが25日、同局から発表された。18日に長女で女優、神田沙也加さん(享年35)が急死したばかり。21日には紅白の曲目が発表されたが、聖子に関しては延期されていた。関係者によると、「悲しみとショックが大きく、歌える状態にない」という。

【写真】沙也加さんと真剣に交際していた共演俳優

聖子が25度目の出場を決めた大みそかの夢舞台から退く決断をした。

紅白の公式サイトは、この日、「紅組で出場予定の松田聖子さんは、このたび出場をご辞退されることになりました」と発表。聖子は沙也加さんの密葬が営まれた札幌から21日に帰京後、出場の検討に入っていたが、関係者は「ショックと悲しみが大きく歌える状態にない」と明かした。聖子は19日と23~26日のディナーショーも中止していた。

大みそかの本番まで1週間となり、NHKでは曲順などを最終調整中。聖子の出場で演出も大きく変わるため、聖子側も結論を直前まで先延ばしせずに決断したとみられる。

聖子は2013年から昨年まで紅白に8度連続出場。15年には「赤いスイートピー」で2度目の大トリを務め、19、20年はトリ前で熱唱した。

今年の紅白をめぐっては21日に同局から曲目が発表されたが、「松田聖子さんについては後日改めてお知らせします」と説明。同局関係者も「聖子さん側の回答を待っている状況」と明かしていた。翌22日には正籬聡(まさがき・さとる)放送総局長が定例会見で「松田聖子さんの気持ちを最大限尊重して丁寧に対応します」と言及。決断のリミットも「協議する中で決めていく」と述べていた。

愛娘を失った喪失感はあまりにも大きいが、聖子にとって紅白は沙也加さんとの思い出がつまっている。2011年には母娘でテレビ初共演し、坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」をデュエット。手を握り、頰を寄せ合いながら美しいハーモニーを届けた。14年には故人が「アナと雪の女王」の主題歌を事前収録で熱唱。聖子は涙を流しながら、スクリーン越しに温かく見守った。

関係者は「紅白では沙也加さんへの思いが蘇ってしまうだけに、つらさに押しつぶされそうになるのでは」と聖子の胸中を察していた。

★紅組追加発表は… 今年の紅白は、25日現在で紅組は21組が出場。白組は、24日にシンガー・ソングライター、藤井風(24)の出場が発表され、22組となった。聖子の辞退を受け、紅組の追加発表はあるのか。NHK関係者は「引き続き交渉中のアーティストがいる」としているが…。

サンスポ 12/26(日) 5:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/6dfdbb6d505509b25dc083434e3d3197f8de6921

写真
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211226-00000008-sanspo-000-3-view.jpg?pri=l&w=403&h=640&exp=10800

関連
松田聖子さん、紅白出場を辞退 NHKが発表←日刊スポーツに騙されたわ…

【松田聖子さんの紅白辞退…直前まで先延ばしせず決断 関係者「悲しみとショックが大きく、歌える状態にない」】の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加
kakushitsu_haha_musume

1: なまえないよぉ~ 2021/12/25(土) 21:10:05.56 _USER9
 神田沙也加さん(享年35)の訃報に接し、改めてクローズアップされたのが母・松田聖子(59)と沙也加さんの微妙な母娘関係だ。2人の確執は週刊誌などを通して誇張気味に伝えられてきたが、12月20日付「日刊スポーツ」はこの噂を“仲のいい母娘だった”と一蹴した。

 ただ、沙也加さんの半生を振り返る上で、“仲良しのママ”といえば大地真央(65)をイメージする人の方が多いだろう。沙也加さんが生まれた1986年10月から、彼女がタレントとして長期休養期間に入る2005年5月までの母親を聖子とするならば、06年12月の活動再開後は大地のことを“もう一人の母親”と言い換えても言い過ぎではないように思う。

 02年5月に「ever since」で歌手デビューした沙也加さんの歌唱力は申し分なく、“松田聖子の娘”というオプションが付いたにもかかわらず母のようには売れなかった。その沙也加さんのデビューとプロデュースに際しては、聖子が大きく関与したといわれている。聖子には「私がプロデュースすれば、沙也加は必ずスターになれる」という自らの経験に裏打ちされた確信があったのかもしれないが、親が子供のやることに細かく口を出し、注文を付け、押さえつければ子供が反発するのも当然だ。そんなギスギスした関係が表面化したのは05年のこと。沙也加さんに12歳年上のギタリストとの交際が発覚した頃だ。年齢差、バツイチ、職業……聖子には彼の全てが納得いかなかったようだ。

「当時の聖子は自分の奔放な私生活を棚に上げ、娘の交際を頑として許さず、沙也加さんは『ママは好き勝手やって、どうして私はダメなの!』と激しく反発しました。それに対し聖子は『タレントやミュージシャンはとにかくダメ。収入だって学生アルバイト並みだし、何より不安定だから』と、珍しく声を荒らげたそうです」(芸能関係者)

 聖子が理想とした娘の交際相手は、“1番目は歯医者、2番目は弁護士、3番目が実業家”だったという。聖子の価値観に振り回された沙也加さんは混乱したはずだが、聖子も娘にわざと嫌がらせをするはずはなく、理想を説いたのは聖子なりの母親としての愛情だったのだろう。ただ、それからしばらくして沙也加さんは長期休養に入る。

日刊ゲンダイ 12/25(土) 14:10
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec707f498891505349e251ccfa14d9555acf5fbc

【神田沙也加さん、2人のママの決定的な違い 松田聖子は娘に理想を説き、大地真央は励まし続けた】の続きを読む