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寿司屋

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1: なまえないよぉ~ 2019/09/16(月) 11:51:57.23
女優の本田翼(27歳)が、9月15日に放送されたバラエティ番組「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に出演。高校生の頃にバイトで働いていた寿司屋の店長と10年振りに再会した。

高校生でモデルとして活動を始めた本田だが、当時は仕事が無く、生活費と大学へ行く学費を稼ぐために、東京・三鷹にある寿司屋で働き始めたという。バイトは順調だったが、2年目にオーディションの都合でバイトをすっぽかしてしまい、「明日から来なくていよ」とクビになってしまったとのこと。

この件について、「謝罪したい」という本田のために、スタジオには寿司屋の店長が登場。

店長によると、本田がすごくかわいい娘だったので、面接のときに最上級のお寿司を振る舞い、その後も特別に美味しいまかないを出していたそう。また、お客も本田に会えて喜んでいたと当時を振り返る。

本田に「明日から来なくていい」と言ったのは、臨時で雇ったアルバイトの手前しかたなかったそうで、本田にクビを言い渡したことを「今でも悔やんでいる」と語ると、本田は恐縮。改めて「本当に申し訳ないことをしてしまいました。本当にごめんなさい」と謝罪した。

https://www.narinari.com/Nd/20190956324.html 
2019/09/16 08:20 
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1: なまえないよぉ~ 2019/02/19(火) 12:16:49.99 ID:4R6/ScI09
 ミュージシャンのGACKTが19日、フジテレビ系「めざましテレビ」で、白米を20年食べていないにも関わらず、寿司店で寿司を注文する驚きの理由を語った。

 番組では、鈴木唯アナウンサーがGACKTを直撃。数々の神話の真偽を確かめた。

 その“神話”の一つが「20年白米を食べていない」というもの。99年にソロデビューを果たした際、成功への願掛けとして、一番大好きなお米を断つことを決意し、それを今まで守り抜いている。

 「寿司もカレーも好きなんだよ。でも米、食べないって決めたから」と言うものの、寿司店には通い、寿司を堪能しているという。一見矛盾しているようにみえるが、GACKTの寿司の食べ方は、シャリの上に乗ったネタだけを食べるというもの。「シャリを残して食べちゃうから申し訳ない」と詫びるものの、それならば刺身で食べれば?と突っ込まれそうだが、そこが食通GACKT流だった。

 その理由は酢飯にあった。「酢で締めたシャリの上に乗せたネタは、酸っぱい訳じゃない。酢で締めたこの感じっていうのは、ほのかに香るレベルなんだよ。ぼくはこれが大好きだから、刺身じゃなくてネタを食べたいんだよ」と熱弁。鈴木アナも驚きの表情を浮かべていた。

https://www.daily.co.jp/gossip/2019/02/19/0012078447.shtml 
2019.02.19 

【GACKTさんが寿司屋で刺身を頼まない理由がこちらwwwwwwww】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2018/05/21(月) 16:50:42.77 ID:CAP_USER9
AKB48の大家志津香が、5月19日に放送された福岡エリアの情報番組『土曜の夜は!おとななテレビ』(TVQ九州放送)にゲスト出演した。
福岡県福津市出身の彼女は、福岡市中央区の繁華街・天神でアクロス福岡周辺をグルメロケする前に
「15歳で東京に出たので福津市しか知らない。博多は2~3回した来たことがない」と明かす。

MCのパパイヤ鈴木とレギュラーのタレント・藤本一精は同番組で元AKB48の梅田彩佳を何度かゲストに迎えてロケした経験があり、しかもパパイヤ鈴木はAKB48の振付けも手掛けているので大家へのいじりも慣れたものだ。
彼女もすぐに打ち解けて自然体でロケに臨み天神グルメを堪能していた。

大家の実家は福津市で寿司屋「いけす料理・磯太郎」を営んでいるが「まだ、誰も跡継ぎが決まっていない」という。
洋食店でハンバーグを頂き、これからも親子で代々続けていくことを聞いた彼女が「羨ましく思った」と口にしたところ、パパイヤたちから跡継ぎ宣言をするよう振られた。

カメラを通して父親に向け「芸能界でダメになったら…」と切り出す大家だが、パパイヤに「いやいやながらに聞こえる」とダメ出しされてしまう。
改めて「パパの味が好きなので…いずれ跡を継ぎたいと思います」と言い切った。

さらに創作おでんの店では、ソフトバンクホークスが好きという男性の店長から「年が同じ今宮健太選手のファン」だと聞き「じゃあ、私と同い年ですね! 26歳!」と意気投合した。
そんな大家にパパイヤがすかさず「結婚しちゃえばいいのに」と茶々を入れ、店長に「彼女の実家がお寿司屋さんなので、おでんとお寿司の世界を融合させては?」と投げかける。

店長が「よろしくお願いします」と乗るので、「AKBは恋愛がダメなので、結婚するならば卒業します」と大家の勢いも止まらない。

そのノリで最後に訪れたステーキ店では、ベテランシェフが「いけす料理・磯太郎」の話を聞いて
「(福津市の)津屋崎は福岡市から魚を食べに行くほどのところだから」と環境の良さを絶賛する。

それを受けて大家はカメラに向かい、「AKBを辞めましたら、恋愛禁止も解けますし、福岡の福津市津屋崎で磯太郎を一緒にやってくれるお婿さんはいませんか?」と呼びかけるのだった。

現在26歳となる大家志津香。6月16日にナゴヤドームで開票イベントが行われる『第10回AKB48世界選抜総選挙』に立候補してやる気満々だが、SNSでは「さあ、今年こそだぞーっ」「今年で終わらせる! ぞ!」ともつぶやいている。
いずれAKB48を卒業して家業を継ぐというのはあながち冗談ではないのかもしれない。

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20180521-05592411-techinq
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【AKB・大家志津香、芸能界引退したら福岡の寿司屋を継ぐ・・・「一緒にお店やってくれるお婿さんを募集します」wwwwwwww】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2017/04/24(月) 11:53:27.65 ID:CAP_USER9
 有村のふるさとは兵庫県伊丹市。空港から近いこの地で育った。共働きの両親と、2つ年上の姉でグラビアアイドルの有村藍里(26)の4人家族だった。
 有村が小学2年生のとき、新築の一戸建てで暮らし始めた。

「引っ越して来たときから、美人姉妹として評判でした。お父さんもカッコいいし、お母さんも美人。架純さんは活発な子で、よく家の前の道路で学校の友達と遊んでいました。
たまにうちに遊びに来て、子供のオムツをかえてくれたことも。週末は家族でよく出かけていたようです」(近所の住民)

 人生の転機は小学4年生のときだ。両親が別居し、姉とともに母親に引き取られた。

〈父親のことが大好きで、小さい頃はずっと後ろをついてまわっていました。(中略)父と一緒に住めなくなって、寂しかった〉(「朝日新聞」2013年11月21日付朝刊でのインタビュー)
『ひよっこ』のみね子と同じく父親がいなくなった有村家では、母親が1人で娘2人を育てることになった。まもなく正式に両親の離婚が成立したが、ここから有村はたくましく育っていく。

「うちでアルバイトをしてくれたのは、高校時代の一年くらい。真面目にやってくれて、お客さんからの評判はよかった。上京するときは家族で空港まで見送りに行きましたが、
こんなに有名になってくれるなんてね。今でもこっちに帰ってきたら、店に来てくれます」(市内の寿司店店主)

 母親を支えるため、この店と蕎麦店でのアルバイトを掛け持ちし、一時は週に6日間働いていた。
 女優を目指すようになったのもちょうど中学から高校にかけて。芸能界で成功して、女手ひとつで育ててくれる母に恩返ししたい思いがあった。

「現在の事務所のオーディションを受けたが不合格に。関西弁を直して、ダイエットするという条件を課され、一年後に再チャレンジして合格を勝ち取った。
学校に通いながら家族のためにアルバイトに励んだストイックさが、そういうところで生きた」(芸能関係者)

 初出演の映画『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011年)で監督を務めた関西テレビの三宅喜重氏は、デビュー直後だった有村の出演を初対面で「即決」した。

「オーディションではなく紹介で会ったのですが、ガッツのある頑張り屋さんで、芯のしっかりした子だなと思って出演をお願いしました。
そのとおり、受験や恋愛に悩む女子高生という難しい役柄にも、弱音は吐かなかった。クランクインは玉山鉄二さんとのラブホテルのシーンだったから、緊張は伝わってきましたけどね(笑)」

 このときの脚本家こそ、『ひよっこ』を手がける岡田惠和氏だ。有村の朝ドラ起用は、映画での好演に惚れ込んだ岡田氏の熱望で決まった。
 ヒロインが発表される少し前の昨年4月、伊丹市内に日本酒バルがオープンした。店の主は、有村を育て上げた母親だ。座敷とカウンターで25人ほどの店内はほぼ満席。3月下旬、繁盛店を切り盛りする母親に話を聞いた。

「(『ひよっこ』は)頑張ってほしいなというくらいです。撮影が始まってからかなりプレッシャーも感じている様子ですが、今はただ見守るしかないですね」

――架純さんはお父様にはご報告されたのでしょうか。

「架純から父親に連絡することはないと思いますが、父親のほうから電話がいくことはあるかもしれません」
 離れて暮らしていても、父娘の絆は生き続けている。じつは、「架純」は本名ではない。芸名の「純」の字は、父親の名から取られているのだ。
 母への感謝と、父への複雑で特別な思い。みね子が奮闘する東京で、有村もまた、その姿を重ねるように成長していく。

http://news.livedoor.com/article/detail/12975407/

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