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天気の子

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1: なまえないよぉ~ 2021/01/04(月) 15:48:45.03 _USER9
観客動員数1000万人超、興行収入140億円を突破し、国内の2019年映画興行収入ランキング第1位を記録した新海誠監督のアニメーション映画『天気の子』が本編ノーカット版で地上波初放送。前作『君の名は。』に続きタッグを組んだRADWIMPSの音楽や、タイトルの“天気”を新海アニメならではの美麗な描写で表現し反響を生んだ本作。一方、公開当時、物語の結末には賛否両論も巻き起こった。
中略

■最後の決断、あなたならどうする?
新海監督は、本作についてしばしば賛否両論あるだろう、と言葉にしている。特に最後の決断については、意見が大きく分かれるところではないだろうか。筆者は正直、彼らのような行動を取ることはできない。ゆえに、それを“カッコよさ”と捉えたが、観た人の中には「許せない」という気持ちになる人もいるだろう。しかしながら、そこも含めて、『天気の子』という作品を見て損はないと断言できる。。もっと言えば、作品を肯定する必要すらないと感じている。果たして自分ならどうするのか。なぜ行動を理解できないのか。解釈や考え方の違いすらも楽しむのが、『天気の子』という作品なのかもしれない。
全文はソースをご覧ください

https://www.crank-in.net/column/84714/1 

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木村拓哉主演「教場2」前編は13・5%!「天気の子」「マツコ」などとの“1・3”視聴率バトル制す
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/01/04/kiji/20210103s00041000410000c.html

「天気の子」(後9・00~11・12)は8・8%だった。

【【視聴率】地上波初放送「天気の子」、視聴率がひどすぎて泣けるwww】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2021/01/03(日) 23:12:43.29 _USER9
 本日1月3日、夜9時から新海誠監督の『天気の子』が地上波で初めて放送される。映画公開時の2019年8月に批評家の杉田俊介が現代ビジネスに寄稿した同作の批評を再掲する。

 【本稿はネタバレを含みます】

「アニメ化する日本社会」を批判するアニメ

 新海誠監督の新作『天気の子』を観て、疑問を持った。その疑問について書く(今回は枚数制限があるため、他の新海作品との比較などは行わない。私の新海誠論については『戦争と虚構』(作品社、二〇一七年)を参照)。

 『天気の子』の舞台は、異常気象でもうずっと陰鬱な雨の止まない、東京オリンピック・パラリンピックの翌年の東京である。伊豆諸島の離島・神津島から何らかの事情で家出し新宿でネットカフェ難民となった高校生の森嶋帆高(ほだか)と、母を病気で失って弟の凪(なぎ)と二人で安アパートに暮らす天野陽菜(ひな)――天に祈ることで天候を晴れに変える力をもった「100%の晴れ女」――のボーイ・ミーツ・ガールの物語である。

 身寄りもなく、経済的にも貧窮した彼らは、陽菜の「晴れ女」の力を使って小さなベンチャービジネスを始めるが、陽菜はその能力の代償として、次第に体が透けていき、この世のものではなくなってしまう。物語の中盤、陽菜という巫女的少女を人柱にして東京の街には再び晴れ間が戻るが、帆高はたとえ東京中の人間が不幸になったとしても、陽菜という一人の少女を救出することを決意する。

 その結果、それから三年が過ぎ、帆高が一八歳になって高校を卒業する頃になっても、陰鬱で憂鬱な雨は降り続き、東京は半ば水没してしまっている。ゆっくりと水没していく東京の街は、経済的貧困や格差化、少子高齢化によって衰退していく日本社会の未来を象徴するものにも思える。

 ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本的アニメを批判するアニメ、「アニメ化する日本的現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本的現実」とは、少女=人柱=アイドルの犠牲と搾取によって多数派が幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである(物語の最初の方に、風俗店の求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜がチンピラに騙されて新宿の性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的な演出だろう)。

 『天気の子』においてもうひとつ特徴的なのは、スピリチュアリズムとの親和性だ。特に前半において、稲荷神社や龍神系などの神道系のスピリチュアリズムを、オカルト雑誌『月刊ムー』をステップボードにして楽天的に肯定してしまう『天気の子』には、オウム真理教やカルト宗教などの危険性に敏感だったかつての時代的空気を吹き飛ばすような、あるいは「日本会議」的な歴史の神話化とも共振するような、危ういものがあるようにもみえる。

 国家も社会も信用できない現代日本人においては、『ムー』的なフェイクなオカルトや疑史的想像力で構わないから、スピリチュアルなものが必要なのだ、と。

 とはいえ、『天気の子』が日本的スピリチュアリズムを全肯定しているかは、よく考えれば微妙ではある。帆高は物語の終盤、陽菜が巫女として消費され、人身御供になってしまうことに「抵抗」するのだから。

 こうした特徴のもと物語は展開する。腐敗した大人たちは、誰か(人柱、巫女)が犠牲になって最大多数が最大幸福になれるのであればそれで構わない、現実なんてそんなものだ、と自嘲気味にシニカルに諦めていく。

 それに対し、帆高は「陽菜を殺し(かけ)たのは、この自分の欲望そのものだ」と、彼自身の能動的な加害性を自覚しようとする、あるいは自覚しかける――そして「誰か一人に不幸を押し付けてそれ以外の多数派が幸福でいられる社会(最大多数の最大幸福をめざす功利的な社会)」よりも「全員が平等に不幸になって衰退していく社会(ポストアポカリプス的でポストヒストリカルでポストヒューマンな世界)」を選択しよう、と決断する。そして物語の最終盤、帆高は言う。それでも僕らは「大丈夫」であるはずだ、と。

 象徴的な人柱(アイドルやキャラクターや天皇? )を立てることによって、じわじわと崩壊し水没していく日本の現実を誤魔化すのはもうやめよう、狂ったこの世界にちゃんと直面しよう、と。


以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/00a00c67e5316b26543a2a6ad0ffb365da0dc89d 

天気の子

【映画『天気の子』を観て抱いた、根本的な違和感の正体】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2020/12/07(月) 07:47:30.67 _USER9
 新海誠監督が昨年夏、歴史的ヒット作『君の名は。』に続いて世に放ったアニメーション映画『天気の子』が、来年1月3日午後9時よりテレビ朝日系で地上波初放送されることが明らかになった。本編ノーカット版でのオンエアとなる。

 同作は、異常気象で長雨が続く夏、離島から家出してきた高校1年生の少年、森嶋帆高が、東京の片隅でひとりの少女に出会う物語。その少女・天野陽菜には“祈るだけで晴れをもたらすことができる”という不思議な力があり、2人は運命に翻弄されながらも自らの生き方を選択していく。

 新海監督ならではの切なく繊細なストーリーと圧倒的な映像美が、日本のみならず世界中の観客を魅了。醍醐虎汰朗と森七菜というフレッシュな2人が瑞々しい演技で帆高と陽菜の心の揺れ動くさまを表現し、小栗旬、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子ら充実のキャスト陣が支えた。国内では観客動員数1000万人超、興行収入140億円を突破し、19年の映画興行収入ランキング第1位という記録を打ち立てた。

 『天気の子』の副題は、『Weathering With You』。“weather”には“天気”のほかに“嵐や困難を切り抜ける”という意味があり、『Weathering With You』 には、 厳しい天候や困難を一緒に乗り越えよう、という思いが込められている。2020年は、これまでの当たり前が当たり前でなくなり、世界が一変した“特別な年”だった。番組では、新しい年の幕開けに“一緒にこの困難を乗り越えていこう”というメッセージを伝えるため、今後さまざまな仕掛けを発表していくとしている。

●新海誠監督コメント
「このままでは、いつか世界は大変なことになってしまう」そんな漠然とした不安を、実は皆、ずっと感じ続けていたような気がします。2019年夏、『天気の子』の物語を作った理由も、そんな暗い予感にすこしでも抵抗したかったからでした。
そしていま、我々の社会はあの頃には想像もしなかった困難の中にあります。「降り止まない雨の中になんとか光を見出そうとする」この物語が、2021年の視聴者の方々にもすこしでも楽しんでいただけるのならば、それに勝る喜びはありません。

●醍醐虎汰朗コメント
各分野のスペシャリストの方々が集まって作り上げた素敵な作品を今回は皆さんにくつろいで観て頂ける空間にお届けできるのは凄く嬉しいです。まだ劇場で観賞されていない方はもちろんですが、すでにご覧になられた方も、また違った環境で鑑賞することで見え方、聞こえ方、感じ方が変わり新鮮な気持ちで見て頂けると思います。観る時のご自身の年齢やその時の感情によっても捉え方が変わる多面的な作品です。何かを一筋に想う純粋で真っ白な気持ちを、美しい映像と音楽と共にお届けします。是非皆さんの大切な人と一緒にご覧下さい!!

●森七菜コメント
映画『天気の子』の地上波初放送が決定しました! 2019年の夏、陽菜と帆高の選択に誰もが心奪われていました。帆高が大切な人を守るために一直線に走っていく姿は2020年になった今、改めて、あたらしい意味も込めてたくさんの方々に勇気を贈ることができると思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。映画 『天気の子』と一緒によい新年をお迎えください。

12/7(月) 7:45配信 
オリコン 

新海誠監督『天気の子』1月3日地上波初放送 (C)2019「天気の子」製作委員会 
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bc80a9e8a36e3bc568120c1c3f3db142857cf70

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【新海誠監督『天気の子』1月3日テレ朝で地上波初放送】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2019/10/02(水) 12:34:33.63
『君の名は。』(2016)から3年ぶりとなる、大ヒット公開中の新海誠監督最新作『天気の子』が、公開から75日間で観客動員1002万1244人、興行収入133億5819万3200円となったことが2日、わかった。これで、『君の名は。』に続き2作連続で1000万人を突破した。

7月19日に全国359館448スクリーンで公開されるやいなや、運命に立ち向かう少年少女の姿、新海誠が世界へ投げかけるセンセーショナルなメッセージ、そして圧倒的な映像美と心震わす音楽が紡ぎ出す“新海ワールド”が話題となり、幅広い世代が劇場に殺到。連日さまざまなメディアで取り上げられ、『君の名は。』同様に2回、3回と劇場に詰めかけるリピーターが続出した。

性別・年齢を問わず席巻する『天気の子』旋風。公開から34日間で興行収入100億円を突破し、歴代邦画興行収入ランキングトップ10入りを果たすなど、『君の名は。』に続き日本映画を代表する1本となった。その勢いはいまだ衰えず、驚異的なスピードで動員を伸ばし、邦画・洋画含め本年度公開映画No.1の大ヒットとなっている。

『天気の子』は、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻ろうされる少年・森嶋帆高(醍醐)と少女・天野陽菜(森)が自らの生き方を「選択」する物語。現在、140の国と地域での配給が決定し、米アカデミー賞の日本代表にも選出され、さらに超異例のインド公開も10月11日に控えている。

https://www.oricon.co.jp/news/2145671/full/ 
2019-10-02 
【『天気の子』公開75日間で観客動員1000万人 興行収入130億円を突破】の続きを読む

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1: なまえないよぉ~ 2019/07/21(日) 17:31:29.74
この夏もっとも話題の日本映画、『天気の子』(東宝)が19日、公開された。
同作は2016年に公開され国内興行収入ベースでは歴代4位となる250億円を達成した『君の名は。』の監督、新海誠氏の最新作ということもあり、公開前より注目を集めていた。

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「実は『天気の子』は、通常であれば公開前に行われるプレス向けの試写会がありませんでした。理由は定かではありませんが、3年前の『君の名は。』のインパクトがいまだに冷めない新海監督の作品とあってヒットは確実なだけに、そもそも試写会など必要ないでしょう」(映画業界関係者)
公開直後から早くもインターネット上では、次のように賛否両論のコメントがみられる。

「凄かった!としか言いようがない」
「どの画も美しく、音楽との絶妙な世界観に感嘆」
「気持ちが一杯になって、気がついたら泣いていた」
「今年のアニメ映画ではズバ抜けたデキ」
「感動しすぎていまからIMAXでもう一度見てきます」
「なんか物足りない」
「作品にどうしても入りきることができない」
「退屈だった」
「無理矢理話としてまとめました、みたいな薄っぺらい内容」
「残念、期待はずれ。君の名は の焼き直し。セルフカバー」

ファンが多い新海監督の話題作だけに、さまざまな意見があふれているが、実際に本作を観たという映画業界関係者は語る。
「“厳しい”というのが率直な感想です。『君の名は。』では、会いたくても会えない男女のすれ違いを、時空や場所を次々と行き交わせながら描いていましたが、そもそも“なぜ主人公の2人は時空と場所をワープし続けるのか?”という必然性がなく、物語としては破綻していたともいえます。ただ、映画においてこうした物語の破綻は決して悪いことではなく、ストーリー展開において必然性や辻褄というのは、ときに無視されてもよく、必須条件ではありません。そうした要素よりもエンターテインメント性が優先されるということは、映画である限り認められるべきでしょう。『君の名は。』は場面展開の切り替えスピードが速く、画の美しさやRADWIMPSの音楽の良さも加わり、圧倒的な疾走感が終始、映画全体を覆っていたため、そうした物語の破綻に観客に気づかせない、いわば“勢いでねじ伏せる”ことに成功していました。それに対して『天気の子』はそうしたスピーディーな場面転換の連続は少なく疾走感が欠けているため、観客を良い意味で騙しきれずに、物語における必然性のなさが露骨に見えてしまっていたように感じます。ただ、こうした点は新海監督自身は百も承知でしょうし、監督によって、さらには作品によって制作サイドが重要視する要素はさまざまなので、単にそうしたストーリー面だけをもって作品の評価をすることにあまり意味はありません。たとえば今回の作品でいえば“美しい雨の映像”“思春期の少年少女の心のひだ”“現代の都市と子どもの問題”“銃と国家権力という社会テーマ”など、映画を構成する要素は複数あるわけで、本作で新海監督が重視した要素が観客に十分に伝わったのであれば、それだけでもひとまず成功ともいえます」

また、本作を観た別の映画業界関係者は、こう解説する。
「観ていて正直『2時間は長いな』と感じてしまいました。ネタバレになってしまうので、あえて詳細は省きますが、その後の展開で重要なカギになるだろうと思わせるシーンや、何か謎を提示していると思わせるシーンが、その後まったく回収されないまま終わっていたり、『なんで?』と違和感を覚えてしまうシーンが多かった気がします。また、ラストについても問題が解決されたかのような終わり方になっていましたが、結局何も解決されていないようにも解釈でき、モヤモヤが残りました。新海さんはもともと短編映画に定評がある監督ですが、短編の場合は時間が短いのでテーマが一つでよく、ストーリー展開も単線で十分なので、粗が出にくい。しかし、長編となると物語が複雑になって、さらに2時間にわたり観客を惹きつけ続けなければならず、どうしても難易度は高くなってきます。『君の名は。』では“粗”を勢いで押し切れていましたが、今回はそれができていなかったというのが、モヤモヤの原因なのかもしれません。周囲に『お金を払ってでも観に行ったほうがいいよ』とお薦めするかと聞かれれば、私はお薦めできるとは言えないですね」

「『君の名は。』は壮大なミュージックビデオだと思いましたが、今回も同様の感想。ただ、それはそれで良いし、まったく悪いことではありません」(別の映画業界関係者)という声も聞かれるが、本作はどれくらいのヒットが予想されるだろうか。

▽続きは下記のソースでご覧ください
https://biz-journal.jp/2019/07/post_110592.html

【『天気の子』に不評相次ぐ『君の名は。』との差は何か】の続きを読む