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ザ・ベストテン

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1: なまえないよぉ~ 2023/12/28(木) 05:56:30.77
 大みそかの「第74回NHK紅白歌合戦」(後7・20)で、TBSの伝説的な音楽番組「ザ・ベストテン」が再現されることが27日、分かった。紅白を見ながら、ベストテンまで楽しめる。1970~80年代の歌謡曲全盛時代の音楽に親しんだファンには、一足早い“お年玉”になりそうだ。

 音楽関係者によると「ザ・ベストテン」は、後半のテレビ放送70周年特別企画「テレビが届けた名曲たち」の中でよみがえる。ポケットビスケッツとブラックビスケッツがパフォーマンスした後、「ザ・ベストテン」で司会を務めていた黒柳徹子(90)が登場。当時の演出を再現しながら曲紹介を行うという。

 黒柳の呼び込みで登場するのは薬師丸ひろ子(59)。歌唱する「セーラー服と機関銃」は、1981年の12月17日放送の「ザ・ベストテン」に10位でランクイン。薬師丸はスタジオでマイクを握った。同曲は翌82年1月14日に1位を獲得したが、薬師丸が休業中だったため生出演とはならなかった。

 それから40年以上がたち、薬師丸は黒柳の曲紹介で懐かしの歌を披露する。関係者は「黒柳さんもノリノリで“それではお聴きいただきましょう。『セーラー服と機関銃』薬師丸ひろ子さんです!”などと、当時と同じように紹介してくれるでしょう」と語っている。

 薬師丸の後には寺尾聰(76)が登場。歌うのは、もちろん「ルビーの指環」。「ザ・ベストテン」史上最長となる12週連続1位を記録している、番組には欠かせない曲だ。歌手が鏡張りの回転扉から登場する際の、あの懐かしい効果音とともにNHKホールに姿を現すという。

 「ザ・ベストテン」と言えば、ランキング表やソファなどのスタジオセットも有名。これらまで再現されるのか、注目が集まる。

 ≪阪神とのコラボ企画発表≫NHKはこの日、紅白で18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を達成したプロ野球・阪神とのコラボ企画を行うと発表した。天童よしみ(69)の「道頓堀人情」に合わせ、大阪の名所から生中継。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

大晦日に「ザ・ベストテン」が見られる!紅白で伝説の音楽番組再現 黒柳の呼び込みで薬師丸が登場
12/28(木) 5:10 スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb2504d76eea31d54f68f48d10b6e08f20d6dd72
「ザ・ベストテン」の司会を務めていた久米宏と黒柳徹子
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231228-00000103-spnannex-000-2-view.jpg

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1: なまえないよぉ~ 2022/07/05(火) 13:03:52.79 _USER9
■ランキング番組の「敵」はレコード売り上げの操作
「ザ・ベストテン」などのランキング番組が消えた理由について、まず元民放音楽番組プロデューサーに聞いた。

「理由の1つはランキングづくりが難しくなってしまったから。1980年代後半、レコード(CD)の売り上げを人為的に操作する専門業者が現れた。誰かから依頼を受けると、レコードの売り上げを調べるポイントの小売店で特定のレコードを買い漁った。するとレコードの売り上げデータが不公正なものになってしまい、ランキングづくりの妨げになった」(元民放音楽番組プロデューサー)

レコードの売り上げデータは番組のランキングづくりにとって極めて重要な指針だったのだ。

「ザ・ベストテン」も「歌のトップテン」もレコードの売り上げ、有線放送へのリクエスト、番組自体へのリクエストなどを基に独自のランキングを作成していた。

「ザ・ベストテン」の場合、レコードの売り上げがランキングを決める要素の約6割を占めていた(1986年から放送終了まで)。それなのにレコードの売り上げデータが操作されてしまったら、番組の屋台骨が揺らぎかねない。

元レコード会社幹部も「レコードの売り上げを操作する専門業者は番組にとって極めて厄介な存在になっていた」と振り返る。あのころ、専門業者の出現は音楽業界で広く知れ渡っていた。

ランキング形式の音楽番組の時代が終わった1990年当時、番組終了の理由として「音楽の趣味が多様化」「番組を支えていたアイドルブームの陰り」などが挙げられた。どちらも真実に違いない。

だが、視聴者が納得するランキングづくりが年々難しくなったことも大きかったのである。なにしろランキングは番組の生命線。最大の売り物なのだ。

「今は新曲が毎週発売されるが、当時の発売日は毎月5日と21日が中心。だから専門業者は5日と21日になると、大勢のアルバイトを使い、指示されたレコードの大量買いをしていた」(同・元レコード会社幹部)

なぜ、そこまでしたのか。言うまでもなく「ザ・ベストテン」と「歌のトップテン」に人気と影響力があったから。

「ランキング入りすると、売り上げが確実に大きく伸びた」(同・元レコード会社幹部)

■出演しないアーチストの増加が衰退を招く
特に「ザ・ベストテン」は番組のパワーが衰えていた1989年9月28日放送の最終回ですら世帯視聴率は12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)

1981年9月17日に記録された最高世帯視聴率は41.9%にも達した。時代が違うとはいえ、昨年大晦日の「NHK紅白歌合戦(2部)」は34.3%だから、怪物番組だった。

別の元レコード会社プロデューサーはディレクター時代に何人ものアイドルを担当した。やはりランキング上位を目指したが、売り上げ増だけが目的ではなかった。

「(担当していたアイドルたちに)悲しい思いをさせたくなかった」(同・元レコード会社プロデューサー)

ランキングに入らなかったり、ライバルに敗れたりすると、アイドルたちは意気消沈したという。打ちひしがれた。担当ディレクターは見たくないはず。ランキング争いは当事者たちには戦いだった。

そんな背景もあったから、1980年代後半にレコードの売り上げを操作する業者が現れたのだろう。

「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」の継続が困難になった理由はまだある。出演しないアーチストがどんどん増えていったためである。

中島みゆき(70)、山下達郎(69)、竹内まりや(67)らいわゆるニューミュージック系や矢沢永吉(72)、BOOWYらロッカーたちは言うに及ばず、1980年代半ばからは松田聖子(60)ら歌謡曲系のビッグネームも欠席するようになる。

「大物アーチストがランキング番組を敬遠した1番の理由はフルコーラスで歌えないから。本来は4、5分の曲が、番組用にアレンジされて、3分前後に縮められてしまう。歌のジャンルを問わず、大物になると、これは耐え難い。作品を不完全な形で世に出すのだから。さらに必ず『生』で出演しなくてはならないという縛りも大物たちには重荷になった」(前出・元レコード会社幹部)

ランキング番組は基本的には10曲紹介される。トークの部分もある。だが、放送時間は正味50分以下。フルコーラスは土台無理なのだ。大物招聘が難しいスタイルの番組だったのである。

■おニャン子クラブが出演しなかった背景
別の理由で出演しないアーチストも現れた。例えば1986年7月から約半年間、アイドルグループ「おニャン子クラブ」が、グループもメンバーも「ザ・ベストテン」には登場しなかった。

※以下リンク先で

デイリー新潮 7月05日
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07051100/

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【最高視聴率は41.9% 怪物番組「ザ・ベストテン」が消えた真の理由】の続きを読む

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ochanoma_happy

1: なまえないよぉ~ 2022/01/08(土) 08:45:55.75 _USER9
さかのぼること40年。驚異の視聴率「41.9%」を記録したのが、1981年9月17日に放送された『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。同番組の第189回となったこの回は、コアなファンたちの間で「神回」と呼ばれている──。

「現在のTBSの最高視聴率番組がドラマ『日本沈没 ─希望のひと─』(2021年)の約16%ですから、41.9%は目を疑うような数字。平均視聴率20~30%でしたから、いかにおばけ番組だったかがわかります」と話すのは、元TBSアナウンサーで、1986年から約2年半、同番組の司会を務めた松下賢次さん(68才)だ。こんな裏話がある。

「実は『ザ・ベストテン』の第1回放送では、当時絶大な人気だった山口百恵さんが集計の結果11位で選外となった。それを知った局の上層部は、『歌番組、しかも新番組で山口百恵を登場させないなんてことがあるか。ほかの歌手と入れ替えろ』とプロデューサーの故・山田修爾さんに迫った。

しかし山田さんは頑なに『それはできません』と譲らなかった。厳正なランキング方式を貫く山田さんの姿勢に、司会の黒柳徹子さん(88才)は信頼を厚くし、『何かの都合で本当の1位じゃない人を、私に1位と紹介させないでくださいね』と微笑んだそうです」(松下さん)

こうしたランキング形式の歌番組は従来にない試みで、それゆえ難儀したと語るのは、同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)だ。三原さんが述懐する。

「『ザ・ベストテン』以前に『TBS歌のグランプリ』という番組があって、それにぼくも多少かかわっていました。そもそも昔の音楽番組は、所属レコード会社が異なる歌手が一緒に出演することはありませんでした。それを変えようとしたのがTBSの音楽班で作曲家でもあった故鈴木道明さん。鈴木さんの働きかけによって、レコード会社も他社の歌手との共演を徐々に承諾するようになっていきました。そうした素地が整った後、『ザ・ベストテン』が企画されたのです。

ところが、そうした流れにあっても、歌手の間で順位がつくとなるとまた大変で、出演交渉の段階からかなり難航したようです。制作陣の苦労は相当なものでした」

同番組元ディレクターの宇都宮荘太郎さん(68才)が語る。

「ランクインが予想される20~30人の歌手のスケジュールを約2か月先まで調べ、所属プロダクションや歌手の移動先に前もって連絡や根回しをしました。ランキングは流動的で不確定ですから、かなりの激務でした」

紆余曲折を経て出演許諾を得た歌手たちの魅力を、番組は最大限引き出そうとした。

スタジオで歌う歌手には凝った美術セットを全力で提供する一方、スタジオ出演できない歌手のためにもバンドや音響などの環境を整えた。中継を担った地方局スタッフと綿密な連携をとりながら、10組の歌手を生放送でつないだ。

「追いかけます。お出かけならばどこまでも」というキャッチフレーズが生まれた陰には、全国の系列局の協力があった。芸能ジャーナリストの渡邉裕二さんが言う。

「黒柳徹子と久米宏(77才)による漫才のような早口で軽妙な司会もよかった。トークにたくさんの情報が入っていて、歌手の近況がリアルタイムでわかる“音楽情報ドキュメンタリー番組”でした。

また、公正なランキング形式というスタイルは、音楽番組になかなか呼ばれなかった弱小プロダクション所属の歌手にも等しく光を当てた。それも『ザ・ベストテン』の功績だと思います」

取材・文/北武司

※女性セブン2022年1月20・27日号

ポストセブン2022.01.08 07:00
女性セブン
https://www.news-postseven.com/archives/20220108_1718449.html?DETAIL

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1: なまえないよぉ~ 2019/05/25(土) 07:26:43.57 ID:p+oKVx069
BS-TBSは、音楽番組「ザ・ベストテン ライブ2019(仮)」を7月12日に放送する。放送時間は夜9時00分~10時54分。4K放送のBS-TBS 4Kチャンネルでも同時放送を行なう。


「ザ・ベストテン」は、1978年1月に放送をスタートし、最高視聴率41.9%を記録した、昭和の伝説的音楽番組。新たな時代・令和を迎えた'19年7月に一夜限りの復活を果たす。

5月26日に中野サンプラザで行なわれるスペシャルライブをはじめ、大阪・名古屋で行なわれたライブの模様を届ける。当時のセットも再現されており、往年の名曲から懐かしの映像を織り交ぜるという。名物となったスポットライトのコーナーでは、今をときめくアーティストが登場。また水谷千重子が「ザ・ベストテン」のステージで、中森明菜メドレーを披露するという。

BS-TBS「ザ・ベストテン ライブ2019(仮)」概要
放送日時: 2019年7月12日(金)よる9時00分~10時54分 ※BS-TBS 4Kでも同時放送

出演:【司会】友近、石井大裕(TBSアナウンサー)
【ゲスト】(五十音順・敬称略)稲垣潤一、伊原六花、鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)、斉藤由貴、島津亜矢、杉山清貴、世良公則、中村あゆみ、三浦祐太朗、水谷千重子、アカネキカク(登美丘高校ダンス部OG)ほか

2019年5月24日 15:21
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1186455.html

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した

1: なまえないよぉ~ 2018/03/24(土) 05:18:45.46 ID:CAP_USER9
 3月22日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)が終了した。1988年10月から続いたフジの木曜21時台の“とんねるず枠”は29年半で幕を下ろすことになった。とんねるずのレギュラー開始前、木曜21時といえば『ザ・ベストテン』(TBS系)が10年以上も同時間帯視聴率1位を保持していた。視聴率研究家のシエ藤氏が話す。

「『ザ・ベストテン』は毎回のように30%を叩き出していた1980年代前半ほどの勢いはなかったものの、1988年当時まだ20%前後を獲る高視聴率番組でした。アイドル四天王と呼ばれた中山美穂、浅香唯、南野陽子、工藤静香の誰かが毎週のようにランクインしていましたし、光GENJIが爆発的な人気を誇っており、歌謡界がまだまだ元気のあった時代。勢いのあるとんねるずとはいえ、『ザ・ベストテン』の牙城は高いと思われていました」

 だが、1988年10月13日、『とんねるずのみなさんのおかげです』は初回14.9%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)をマーク。12.1%の『ザ・ベストテン』に勝利を収める。『みなさん』は4回目の放送で初の20%越えを達成。『ベストテン』は視聴者を奪われる形となり、1ケタを記録するようになる。『みなさん』は1989年3月30日に歴代最高となる29.5%を叩き出した。

「この日、『ベストテン』の放送がなかったことも30%近い数字が出た1つの要因でしょう。ただ、『ベストテン』が正月の三が日以外で休むことは番組1年目の1978年以来。放送すれば確実に視聴率が取れるから、改編期でも休止なんて有り得なかった。逆に言えば、この時点で『みなさん』は『ベストテン』に引導を渡していたとも言えます」

『みなさん』の開始からわずか1年後、『ザ・ベストテン』は1989年9月に11年8か月の歴史に幕を下ろすことになる。

「とんねるずが『ベストテン』を破ったことによって、お笑い芸人の地位が高くなったことは間違いない。『ベストテン』の終了と比例するように、既に視聴率低迷気味だった『歌のトップテン』(日本テレビ系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の視聴率はさらに下がっていき、ともに1990年に終了。歌番組冬の時代を迎えました。テレビの主役が歌手からお笑い芸人へと大きくシフトしたのです。そういう意味でも、『みなさん』は確実に歴史を変えた番組だといえるでしょう」

(以下略、全文はソースをご覧ください。)

2018.03.23 16:00 
『みなさん』の功績 『ザ・ベストテン』に引導を渡した意味 

 当時最強の裏番組を破った(番組HPより)
http://www.news-postseven.com/archives/20180323_661453.html

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